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2008年 10月 11日
「東洋のモナコ」 熱海(その2)
市役所から数分のところにある「湯前(ゆぜん)神社」
名前から想像する、単なる観光用に造った神社でもなさそうで、歴史は平安の頃からとのこと。
石鳥居は1780年久留米藩主から寄進されたもの。
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昭和の時期、この神社の大規模な整備を想像させる寄進者の石碑
名簿筆頭者「金拾五万円也」山形・・、次、「金拾万円也」畠山鶴吉、二人置いて「金六万円也」山田弥一。
畠山は「つるや」、山田は「大月ホテル」で、両者の旅館は、同じ海岸通りにあり、距離は100Mくらい。そして、両人とも元衆議院議員。
この寄進額の違いが寄進時の両者の力関係を表すわけですが・・・。
まあ、この当時は山田「大月」<畠山「つるや」 は明らか。
選挙についてちょっと、調べてみました。なにしろ、この狭い温泉街から二人の国会議員ですから。(以下の選挙は全て衆議院議員選挙)
畠山 23回選挙(S22年)日本自由党 立候補、落選
畠山 24回(S24年)民主自由党 立候補、当選
畠山 25回(S27年)出馬せず
山田  〃 自由党 立候補、当選
畠山 26回(S28年馬鹿野郎解散)出馬せず
山田  〃 自由党 立候補、当選
畠山 27回(S30年)自由党 立候補、当選
山田  〃         〃    〃 、落選
畠山 28回(S33年)自由民主党 立候補、落選
山田  〃         〃       〃 、当選
畠山 29回以降は出馬せず
山田 29・30回 自由民主党 当選
山田 31回       〃    落選、引退
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たぶん、昭和20年代後半から30年代前半の10年間は両者はかなりの確執があったでしょうね。
当時の選挙区は中選挙区で静岡2区は定員5人。しかし、同じ地盤から二人の当選は無理な話。狭い温泉街を二分した選挙戦が繰り広げられたのでしょうね。
尚、現在、「つるや」は廃業、「大月」は営業権、資産を他に譲り、再生中です。
温泉旅館繁盛記、今は昔のお話です。

話、もう少し、実は私、畠山鶴吉に怒鳴られています。小学生の頃。年代からすれば、既に畠山氏は議員を引退の身です。
「支店つるや」には露天の小さな温泉プールがありまして、当然、宿泊客Only。
しかし、そこは、地元の子。ホテル従業員の目を盗んで、ブロック塀を乗り越え泳ぎに入る訳です。しかし、客の子供と比べ、泳ぎは上手いし、声はデカイ、都会を感じさせるプールにハシャギまくるので、直ぐ見つかり、「こらー」とばかりに追い出される。
毎夏、これを繰り返すわけですが、あるとき、私を含め大人しいとされている数人で忍び込み、静かに遊んでいたところ、プールに現れた、でっぷりとした大人と目が合い、「あっ、畠山鶴吉だ」と思った瞬間、「こらー」っと怒られ、一目散に退散。
どうして、地元の子と分かったのか・・・。思い出です。
「東洋のモナコ」 熱海(その2)_c0116284_18304027.jpg


by eastcoast92 | 2008-10-11 11:47 | 伊豆


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